物理的領域の因果的閉包性

けいおんと帰属意識 - sense of belonging -


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大久保清朗氏の 少女たちの小さな秘密 - 山田尚子監督『映画 けいおん!』 という記事を読み
今更ながら 「けいおん」 とはどういう作品だったのか考えさせられたので、自分なりに思ったことを書いてみる。

のんべんだらりと過ごす彼女たちを見ていると、楽な日常に逃避、あるいは依存しているようにも思える。
しかし高校生活を終え、過ぎ去った日々を思い起こすと 「何もない平凡な日常の大切さ」 に愛おしさを感じる。
そんな愛おしさや懐かしさを凝縮させた作品であることは、ある程度大人の階段を昇った方なら理解できるだろう。

では彼女たちは日常に依存しているのか?英語で滞留は 【stay】 となり、とどまる、(…の)ままでいるという意味。
放課後の空間を大切に思い、自覚し居続けているなら 【stay】 になるが、自覚しないでとどまっているなら少し違う。
英語で帰属は 【belong】 となり、所属する、あるべき[ふさわしい]場所にある、(周囲と)なじんでいるといった意味。
望んで日常に滞留しているというよりは、軽音部または軽音部としての仲間意識が彼女らを帰属させているのだろう。

(徐々に自覚している部分もあるが)こうした無自覚な帰属、放課後ティータイムがもたらす帰属意識こそが最大の魅力。
どこにいても何をしてもみんなと一緒なら楽しい。そんなふんわりした動機が結果日常に依存しているかように見えるだけ。
実は無自覚にいつの間にか軽音部員が生み出す日常空間に溶け込み、なじんでいると考えたほうがいいのかもしれない。
そして 『映画けいおん!』 は、帰属意識を再確認させてくれた意味も含め、作品が果たした役割はとても大きいと思った。

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