物理的領域の因果的閉包性

花咲くいろは 総括 「女ざかりの花たちへ」



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『花咲くいろは』 という作品は何を描いていたのか? それは、これから輝きたい女性たちだと思うんですね。
緒花の成長や女将の生き様など、いろいろありましたが、それらをすべてひっくるめると輝いているというよりもこれから輝きたい女性ばかり。
第3話 「ホビロン」 で緒花が次郎丸に言ったセリフ 「悔しくて、何かがしたくって... でも次郎丸さんが教えてくれた。私、輝きたかったんだって。」
何をしたいのかわからなかったけど、輝きたかった。そう言っています。たぶん緒花だけじゃなくて、民子や菜子、巴も同じ気持ちだったと思います。

先のことなんざ誰にもわかりゃしません。賞を取れば、いえ、賞を取る気持ちを捨てない限り可能性は消えない。お客様はお客様のままです。

同じ第3話で女将が次郎丸に言い放ったセリフです。これを次郎丸ではなく女性の生き様のことだと考えると、かなり説得力が出てきます。
先のことは誰にもわからないが、輝きたい気持ちを捨てない限り可能性は消えない。女は女のまま。』 こう言い換えてみるとどうでしょうか。
女将の喜ぶ旅館を夢見続けて、緒花も女将自身もずっとその夢を忘れずに生きていきたい。その願望こそが輝きたいということだと思います。
輝いても輝かなくても、女という存在であることには変わりありません。でも輝きたい。その意識が女としての生き様を高めているのかもしれません。

では具体的に、何が女性を輝かせているのか? それは、少女性だと思うんですね。
英語で少女らしいことを 【girlish】 と言いますが、写真家の荒木経惟は写真集のタイトル 「少女性」 を 【chrysalis】 と表現しています。
chrysalis】 とは、昆虫さなぎ(pupa)、幼生 【larva】 のあとの形態、その外被。準備期、過渡期のこと。変わり目や分岐点に近い感じです。
大人になりたい、変わりたい、輝きたい、まだまだ働きたい、女らしくありたいという気持ち。それらすべての総称が少女性と言えるんじゃないでしょうか。
わからなくても先に向かって突き進むことが 『ぼんぼる』。ぼんやりした夢や目標に向かって突き進むことが出来るのは少女らしさを忘れないからでしょう。

「魔法少女まどか☆マギカ」「うさぎドロップ」「異国迷路のクロワーゼ」 など、少女を中心に少女らしさを描いた作品が最近多くなってきてますよね。
でもこの 『花咲くいろは』 は、少女だけではなくて大人の女性の少女らしさまで描くことの出来た数少ないアニメだと言っても過言ではない気がします。
緒花を中心とした女性の可能性が秘められた作品だと思うし、一つのアニメ作品としてもいろんな可能性を秘めた作品になったんじゃないかと思いました。

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